心の癒しブログ

生きるって難しい。でも答えは自分の中に見つかる。

人が「あさましい」行動をとった後、人生のターニングポイントになるか、「あさましい人生」を送り続けるか

人はみな、自分の道を信じて生きています。

「正しく生きよ」と誰もが教わって生きています。

 

正しく生きる、、、では正しさとはどういったことでしょう?

正しさは人によって千差万別ですよね。

 

聖人の言葉を借りて言えば、

「他人に迷惑をかけず、自他ともによりよい未来を作り上げてゆく」

・人に優しく

・社会に貢献し

・子孫を繁栄し

・未来を守る

といった具合に教えられ育てられてきたかなと思います。

 

しかし、正しく生きることのいかに難しいことは誰もが気がついているでしょう。

 

正しく生きようとも術を知らない場合がありますし、

正しく生きようにも環境が許さないこともあります。

 

では正しく生きたいけれど、うまくいかない人生の心の在り方についてちょっと考えてみたいと思います。

 

 

正しく生きたいけど、欲望に勝てない

 

人はみな欲望や多大なエゴによって悩まされます。

いい学歴でないとだめだ、すてきな恋人がほしい、もっとお金があれば、出世のためなら、もっと美人であったら、と人の欲望は108個以上ありますよね。

みな生きるために必死です。

そしてどんなにいい人ぶっていても、大小によらず恐れや不安はつきものです。

(恐れや不安を完全に手放す事ができればそれは解脱です、この世にいるうちは難しいことです)

そして明日がどうなるかわからなければ、今を必死にもがくでしょう。欲望のために人を傷つけたり、他人の物を奪ってまで手に入れるようなこともあるかもしれません。

良くないことを承知でするのか後で気がつくのか

承知でする場合は、狂気の沙汰、気が違ってるなんて蔑まれてしまうでしょう。

気が付かないで人を傷つけていた場合であっても、人を傷つけたことに変わりはなく、事後しばらくしてからそのことを知ったり、知ったとしても自分は悪くない、あの時はしょうがなかったんだと、そんなことを繰り返してしまうのが人間なのかもしれません。 

誰かを傷つけてもいいから欲望を叶えたいと思う瞬間は、生きていれば遭遇することもあることでしょう。そのとき良心の呵責に苦しむようならば救われたも同然です。

なりふり構わないときは、良心の呵責すら入る余地はありません。

 

 

その欲望の源は恐怖だったりする 

 

例えばいい学歴でないとだめだから友人を蹴落としてでも上に行かなければ、という場合は、いい学校に入れないと親から愛されない、となどという恐怖が根源にあることがあります。子供の場合親から愛されないことは生きる道が危うくなるも同然です。

また人を陥れても自分がいい思いをしなければ気が済まないひとは、先んじて得をしないと置いてゆかれる、見捨てれられる恐怖に由来している場合があります。

または、気持ちを傷つけられたりバカにされた時に正当防衛を超えた仕返しをしてしまうような、攻撃性の高い人もいます。これもこれ以上傷つくと立ちなおれないかも知れない恐怖に対する防衛策です。

 恐怖に由来した行動は、その恐怖に気が付かなければ延々と繰り返してしまうことでしょう。そのうちに大切な人まで去っていってしまいます。

 

 

誰の心にもある十界の世界

 

仏法に十界という考え方がありますが、人の心にはそれぞれ違った大きさの十界があるのだろうと思っています。

というのは、どんな善人でも魔が差す瞬間があったり、

昔はとんでもない悪党だったけれど心を入れ替えて神仏の道に進む人がいます。

心に、地獄界の割合が大きいと、暴力や強奪、強い自己否定などにさいなまれることが多くなり、そんななかに少しの天界の領域を見い出せば、そこから智慧を使って抜け出せる日が来たり、それでもまた戻ってしまったり、、、。

そんな大変な心の世界をみな生きている、そう想うとそれぞれの人が各々一生懸命に生きていることを痛感します。

 

ちなみに十界とは、

地獄界・飢餓界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。

 

 

自分にも欲望があるからこそ

 

人はみな、やっちゃいけないことはわかっています。そして周りの目も気になるので、欲望を抑えられることがほとんどです。良心の呵責や、気持ちを制御する理性が備わっているものです。

しかし、ある時に魔が差す瞬間が訪れたとき、欲望と戦うことになります。

大抵は抑えることができますが、制御できない瞬間が訪れることもあるのです。

 その堪えきれない状況は、その状況に追い込まれた人しか体験できないことです。

だからこそ、自分なら抑えるし我慢すると思うらこそ、欲望に勝てなかった人のことを蔑んでしまう。

あの人はなぜ我慢しないのか?頭を使って他の道はなかったのか?

自分は我慢できた、君それをやっちゃあおしまいよ、とその人を理解しようとせずに軽蔑するでしょう。

 

 

あさましい行動の裏を知れば

 

しかし自分の家族や大切な人が欲望に負けてやってしまった場合、「あさましい!」と投げ捨て続けられるでしょうか。

許せなくて縁を切ってしまってはそれまでですが、簡単には切れるものではありませんよね。

話して説得して、理解してもらえる関係ならいいのですが、そうでない場合に

こちらが理解しなければならないときがあります。

 

なぜそんなことをしたのか?

そうしなければならなかった理由があるのか?

欲望を満たすこと以外に道があったとしても、考えつかなかったからそうなってしまったのだろうか、自分もその環境でその生育過程で、無知だったら同じ道を歩んでいたかも知れない。

 

その人の立場、考え方を知ることができれば、あるいは許せるようになるのかもしれません。

それが裁判所で行われることのないように、私達一人ひとりが他者を理解する努力が

必要になってくると思います。

 

 

その人の人生で起こる奇跡

 

欲望を優先させた後に、大切なものをたくさん失って、取り返しのつかない事態になり、自分は正しかったと開きなおるのか、自分の人生を省みることができるか。

間違った自分を変えようとせずに人生を終える人もたくさんいます。

負わせた傷が深いほど、自分もまた同じ傷を負うことになります。

 人生を俯瞰で見れたときに気がつくことはたくさんあるでしょう。

罪を背負ったまま、誰かを傷つけたまま生きるのはとんでもない重荷です。

 

してしまったことに気が付き、自分の生い立ちから考え直した時、

きっとそこから生まれ変わって新しい人生が始まることでしょう。

 

気がつくチャンスは人々や出来事がたくさん与えてくれます。

悪魔の声に騙されずそのチャンスをきちんと受け止めた時、

その勇気をたたえきっと生まれ変わることができるでしょう。

 

 人生のいらない荷物を次々に下ろして、

本当の自分に気がついて生まれ変われる、

そんなきっかけに1mmでもなれれば嬉しいです。

 

長々と雑文ご精読を感謝いたします。

 

 

 

 

この世は不公平、だと思います

人間はみな、父と母から生まれ、その地で育つ。

 

その両親が裕福かそうでないか、

 

揃っているか一人かどちらもいないか、

 

その地は安全か戦地か、

 

逃げおおせるかそこで尽きるか。

 

人それぞれの生き方がある。

 

 

 

裕福であっても中毒者になるものもいれば、

 

貧乏でも愛に溢れるものもいて。

 

 

 

便利な国に生まれても仕事がなかったり、

 

発展途上がゆえに生きる工夫を生み出せたり。

 

 

生まれ持ったものを他人と比べると、

 

やはり不公平を感じずにはいられない。

 

 

この不公平に、

 

天を恨み続けるか、

学びの場とするか、

 

 

それが課題だ。

 

恨み続けているうちは、

生きるのに精一杯だろう。

 

では少し考えてみて。

 

余裕がない原因はなんだろう。

 

 

恨んだり、憎んだり、

羨んだり、怒ったり、

 

そうしてるうちは、もがき苦しむ。

 

苦しんで苦しんで、

苦しみぬいたその先に、

 

 

答えはきっと見つかる。

 

 

「とかくこの世は生きにくい」

 

 

 

生きにくさを、

 

どうか乗り越えて。

 

 

生まれてきてよかった、と

 

思える日が来ることを。

ドラマ「師任堂」(サイムダン)にみるここまですごい良妻賢母(ストーリー少し含みます)

韓国ドラマをまたハマって見ました。その名も「師任堂」(サイムダン)です。

サイムダンは韓国でお札になるほどの歴史的逸材でして、

絵の才能、責任感の強さ(人を超える強さ)、成し遂げる忍耐力、素晴らしき母

このどれも最高レベルMAXです。

加えて今回お伝えしたい、

良妻賢母MAX

ですが、

まず旦那さんの説明をします。

 

とんでもねーでれすけな旦那のやらかしっぷり

奥さんの財産を売って大コケし一文無しになる

・20年以上無職(だったはず)

科挙の試験に受かろうとしない

・子供の前でも公然と浮気をする

 

これだけでも万死に値すると思いますが、

サイムダンは違います。

 

エピソード1

ある時息子が父親のぐーたらぶりを同級生にバカにされていたのを、サイムダンは

科挙に受からずとも、子どもたちを心から愛し、家族に笑顔を振る舞える心優しい夫でございます。わたくしは心から尊敬しております。」

 

\\心から尊敬しております//

 

どんな実態だろうと、尊敬している部分はあるんだ、と夫を認めているところが

すごいなーと思いました。

 

エピソード2

夫のどうしようもなさに子どもたちももう辟易しており、

一文無しで家に戻ってきた折には、子どもたちはしびれを切らして、

「お父様のせいでとなりの干し柿を盗んでまで食べるしかなかった!」

「お父様のせいでこんなボロ屋にすむことに!都へ帰りたい!」

「お父様のせいでお母様は大変な苦労をなさり、いつも木綿の衣服しか着れないのはお父様のせいです!」

と猛烈に責め立てます。そこですかさず、

「みな、お父様になんという態度なの。そこになおりなさい!」

と、お父様を、こんなお父様を一家の主として敬意を払い顔を立てます。

\\お父様になんという態度なの!//

 

エピソード3

夫はラッキーなことに科挙に合格せずに宮仕えを任命され、舞い上がってとある料理屋さんで豪快にお酒やスープをごちそうしてしまうのです。そこでその豪快っぷりに惚れたのか、そこの女将がすり寄ってきて、そこからこの夫はこの料理屋に足繁く通い、夜まで入り浸るのでサイムダン宅には戻ってきません。

とうとう夫の浮気を目の当たりにしたサイムダンでしたが、

そのことを夫に問い詰めるのではなく、物静かに、

「今後、どうするおつもりですか」

と夫に伺うも、夫は、

「お前といると息が詰まる!私は家でリラックスできない!私は教官と結婚したのではない!この女人(女将)といれば、足を崩してご飯が食べれる!おならができる!」

そこでショックを受けヨヨと泣きながら

「そのようなお心に気づかず、窮屈で寂しい思いをさせてしまったことを、

、、、心より反省いたします、、、。」

と泣きながら去るのでした。

 

\\心より反省いたします//

 

 その後胸を痛めたサイムダンは、子供たちのために夫に戻ってくるように?と

浮気おかみに夫の下着と共に文を当てるのです。その内容は、

「主人は肌が弱く、下着に気を使わないと腫れ物ができてしまい、ひどいと一月以上も患うことがあります。また、すぐに空腹になるので、夜分の軽食と口直しのお水は欠かせません。そこにとどまっておるならば、どうか大事にしてやってください(的な)」

みたいな手紙を送るのですが、それをうっかり夫が読んでしまうのです。

夫は泣きながら手紙を読み、サイムダンの優しさ、心意気に後悔してもしきれない具合でした。

 

 

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どんなダメ男だったとしても、一家の主として敬意を払い、尊敬し、子供たちにあるじたるものの立場をわからせ、自分に至らなかった点があれば直す努力をする

生活が苦しければ工夫と努力で子どもたちを守る

 

現代人とは境遇が違うし、男女平等に教育された女性には全てクリアは難しいですよね。

でも見習いたいです。