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心の癒しブログ

生きるって難しい。でも答えは自分の中に見つかる。

キルミーヒールミー 感想(ストーリー内容を含みます)②重いです。

生きる

こんにちは☆

タイトルの通り韓国ドラマ「キルミーヒールミー」をみた感想第二弾です☆

今回の感想は少し重たい部分をテーマにしているので、暗くなりそうな人は

読む事をおすすめしません。

 

 

生きたい、そして生きることに疲れた、それぞれの気持ち

 

主人公ドヒョンの生い立ちは確かに複数の人格を生み出すほど過酷で壮絶なものであり、自分をこんな風にさせた者を恨みながらも生きて生きて生き抜いてやるというシン・セギの気持ちと、生きていてなんになる、もう生きていても意味がない

死を選ぼうとするヨソプの気持ちがとても悲しく切なく、そして苦しく涙を誘いました。

生きるということへのそれぞれの思いが苦しくも胸を打つのでした。

ヨナも「全身で生きる」エネルギーの塊のような女の子です。彼女を見ていると、

誰にでも存在する心のままに生きる奔放なインナーチャイルドのように見えました。

「心のままに生きる。」それは大人になればなるほどとてもとても難しいこと。

でも誰の心にも思うままに生きたいという欲求があるから人生に楽しみを見出せるのではないかな。

スンジングループの一族が会社を自分ものもにしようと金に溺れて人の心を

無くした姿も、生きることへの貪欲なまでの執着なのでしょう。

 

 

 

人の心を忘れた人たち

 解離性同一性障害(多重人格)は、想像を絶する辛い思いをしないと起きない人格障害です。

 複数の人格を作ることで、「死」に直面するのをなんとか食い止めようとする、

「生きる」ために作られた障害とも言えます。

しかしその複数の人格と生きる事は想像できないほどにつらく厳しいものでしょう。

生きる事に疲れてしまってもおかしくはありません。

そもそも安心できる時間がなかったので障害を起こしてしまったとも言えます。

 子供に手を上げてしまうのに理由なんか認めないけれど、愛する人に過度の暴力を振るうこと自体が立派な人格障害だと思います。人格障害だとしたら、子供を設け育てることは難しいので設けるべきではないと思います。

暴力を振るう親が人格障害ならば、その人自身がそうなった原因がその人の育った環境、親の影響ということに余念はありません。

虐待は、愛を忘れた人たちの行いです。

何があっても認められることではない。しかし暴力を受けて育つとそれを愛だと勘違いして生きてゆかなければならなくなる事が多いのです。

 行き過ぎる暴力はこうした人格障害をつくりだし、人格障害を起こしたため子孫を作る事を体を張って止めようという表れだとしたら、そして全人生をかけてこの負の連鎖を辞める行為だとしたら、わたしは辛すぎて心がギシギシと音を立てる思いです。

 

 

 

主題歌のメロディーに込められたドヒョンとオ・リジンの気持ち

 

自分が多重人格だと知ってから心を閉ざしてきたドヒョン。

しかしオ・リジンの心の温かさに触れて行くうちに凍った氷の心が少しずつ溶け出して行く。

 助けるかどうかは、助ける人間じゃなくて助けられる人間が決める

この言葉にも深く感涙しました。ドヒョンを助けて慰めたい、でもどこか運命のような絆を感じるオ・リジンのこころ。

多重人格とわかってからは人を愛することをやめたけれど、少しずつ愛に触れる事で抑えてきた心が暴れ出し愛する人を傷つけてしまうのではないかという怖さ、そしてまた愛を失ってしまうのではないかという焦るドヒョンのこころ。

そして主題歌のメロディーと歌詞がふたりのこころの糸を紡ぐように織りなしてゆく。

「暗闇を歩き回り あなたを探した あなたに触る事も抱きしめる事もできない」

この歌詞とメロディーが、チャ・ドヒョンという一人の男の中にある途方もない寂しさと、暴れ出してしまいそうな衝動を聞く者の心に訴えてくる、そんな気持ちを感じずにはいられませんでした。

 

 

続きます☆☆

 

 

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