心の癒しブログ

生きるって難しい。でも答えは自分の中に見つかる。

愛すること≠依存、思い通りにさせること

こんばんは☆

 

愛すること、それはこの世に生まれてきた目的の一つ。

 反面生きとし生ける者は皆愛されたいと願う。

 

みなさんにとって、愛ってなんでしょうか。

 愛がなんなのか、今日は難題に挑戦です。

 今回は長いし、いつものようにわたし的解釈なので、

読むのがかなり面倒なことになると思います。

いつも星やブックマークをくださる方々に大変ありがたく、感謝と敬意を表します、しかし

今回は長くて面倒だと思うので、飛ばしてしまうことをお勧めします。

 

 

愛することってなんでしょう?

 

「愛する」というのは、言葉では単純に聞こえるし、

定義があったとしても生活していてほとんど考える必要がない事かもしれません。

ドラマや映画では、愛をテーマにしたものかたくさんありますが、現実の生きる舞台で、

本当の愛についてふれる場面は、あるようであまりないのが現状です。

反対に愛を求める気持ちはいつだって存在します。生きているとふとした瞬間によぎる寂しさ、虚しさってありますよね、これは誰もが経験する感情だとおもいます。この気持ちが簡単に消える方法があるとすれば愛なのかもしれません。

「あたたかくて優しいちからに無条件に守って抱きしめてもらう」ことで消えてしまうならば、それが愛で溶かすことだと思うんですよ。

生きる人はみんな、寂しさと虚しさに脅かされています。それはその人のDNAに刻まれたそれまでのとある人生での寂しさの記憶、虚しさの記憶が自分自身の潜在意識として思い出されて苛まれる。要するに血の繋がった遠い先祖の人生体験が自分に繰り返されているということです。どれだけ幸せそうに見える人でも、寂しさや虚しさを感じない人はいません。しかし克服することはできるでしょう。

自分が愛されたいと思う気持ち。この気持ちを大切な相手も同じように感じているなら、わたしもあの人を愛してあげたいな、と思う事、、、。

人間は愛され大切にされることで初めて「愛」という感情が育まれるのかもしれませんね。

 

ところで私の考える愛は、

☆自分に見返りを求めない

☆条件を設けない

☆愛する対象を心から大切に思えること

です。

神様かマザーテレサか、菩薩にならないと完璧な愛を与えることは人間である以上難しいのかもしれませんけど。

なぜなら完璧な愛を与えられる条件の揃った人生自体稀有だからです。 

というのも、生きるにあたって様々な課題を設定して生まれてきますから、それを克服することが優先で、本当は愛を知りたくても知ることができない状況、要するに生きる最中で傷ついたり、人を信じられなくなったり、感情抜きでなきゃ生き抜くことすら難しいハードな設定をしてくる人もたくさんいるからです。

例えば、「恋人にプレゼントを送る」ことは単純に「愛しているから送る」というものと、その他様々なパターンを考えることができますよね。

例えば喜んでもらってポイントを稼ぎたかったり、イベント上のことだったり、機嫌をとるためのものだったりするかもしれません。

それを受け取る側は「愛されている」と思ってしまうかもしれません。

本当の愛からくるものであれば、相手が幸せになってくれたら嬉しい!という思いから贈り物をするでしょう。でも送る側の本当の気持ちなんて、送った人すらわかっていないことも多いのです。それが愛なのか、見返りを求めての事なのか。そもそも見返りってなんなのか。

しかし、見返りを求める事は愛ではない!!と言い切れないのも事実なんだと思います。

欲がない人間はいないのですから。保身のために優しさを示すことは世の中とても多いです。だからといってその優しさで救われる人だってたくさんいるんですね。

完璧な愛ではない優しさ、同情や憐れみだろうと、物質的に助かる人は助かります。

でもその行為が愛からのものでないと、心と心が触れ合う事は難しいのかな。

それにしても生きていてまごころの愛を与えられる人はまず自分自身が幸せでいないと難しいのでしょうね。

 

自分が幸せでないと愛を与えられない

 

幸せのかたちは人によって違うと思いますが、まずは自分の気持ちに不満があると、 他人に与えるよりまず自分に与えようとします。ですからまず自分が幸せや平和を見つけないと他人を愛せません。

反対に「愛してほしい!」と貪るのです。

 

古い映画でエディマーフィー主演の、「星の王子様 ニューヨークへ行く」では、

ヒロインの女性が本当の愛を求めて恋人になる人を探していますよね。

ヒロインの地位やお金で自分を選ぼうとする人を見定めるために、ヒロイン自身の身分を隠して主人公と接していました。

まぁこれは極端なパターンですが、愛することは相手に乗っかることでない、ということ。

地位も財産も捨てて、丸裸でもその人と一緒にいられるか、ということを試しています。

 ヒロインにとっての幸せは、お金や名誉ではないのです。

 

恵まれた環境で育った人しか愛を得ることはできないのか

愛を与えられる人は幸せでないとならないと述べましたが、確かに恵まれた環境下に育つ方が、愛や平和を知る早道かもしれません。

しかし過酷な環境で育った人も、生きていていつかは誰かの無条件の優しさに触れる瞬間てあると思うんです。

でも、その無条件の優しさが「愛」であると受け取れるかどうかはその人次第になってしまいますがね。

まったく人を信じられなくなっていれば、何か裏があるかもしれないと考えてしまう思考回路ができあがっています。

なんども人を信じて裏切られてしまうと、もう一生人を信じないようにしないと、今度こそ自分が壊れてしまいますから心をとざしてしまうのです。

愛のある精神科医の先生が患者さんの閉ざされた心を開くのに何年もかかってしまうのは、その患者さんが人を信じなくなった時間の分だけ、安心と安全の空間を得ないといけないからでしょう。

閉ざされた心で、他人の優しさを受け取ることって難しいのです。

でも、どんなに裏を読もうとしても何もない優しさ=愛は存在することを知って、それを少しずつでも受けとって、その気持ちを胸に刻んでほしいと思うんです。

そのあたたかい包まれるような優しさを、いつか愛する人に与えられるようになってほしい、と思います。

ずっとずっと地獄モードでも、光のさす瞬間を受け止めて、

ゆくゆくはその地獄から抜け出してほしいと思います。

 

 

依存は愛ではない

 

自分は恋人を愛している、家族を愛している、と思っている人も、それが相手の気持ちを無視していることがあります。その人がいないと生きて行けないとか、大好きだからその人の全てを共有したい気持ちって一度は経験したことあるかと思います、恋に恋している時とか、盲目的になっている時とか。

でも自分はそう思っても、相手がそうでない場合は相手に強制することになってしまいますよね。

相手が窮屈な思いをしているのに、四六時中一緒にべったりしているのは、

それは相手の気持ちを無視した行動です。

この人がいなければ自分を保てない、会いたい、いつも一緒にいたいというのは

相手の気持ちを考えた上でのものでなければそれは愛であるとはいえません。

 押し付けです。

愛は相手を支えてあげることでもありますから、自立した精神がある程度必要で、相手に寄りかかることは愛ではなく愛してほしい、ということです。

 

あなたのためを思ってのことなのに

よく、「あなたのためを思って!」って耳にしますよね。

あなたが将来いい企業に入るために小さいうちから勉強をたくさんさせて、

エスカレーター式の学校に入れてあげる。

その際、勉強が楽しくてしょうがない子供ならそれは親子で同意の上、分かり合えていていいかもしれません。

でも、他のことをする余裕のないほど長時間勉強しないと入れないレベルの高さなので、子供側とすれば苦痛以外の何ものでもないとなると悲劇が生まれるのです。

お母さんが喜ぶから勉強する、しないとお母さんの機嫌が悪くなる、という子供なのに配慮しなければいけないという状況が、本来健康に育つべき心の部分を排除しないといけなくなってしまうわけです。そこで出来上がってしまうのがアダルトチルドレンです。

子供の心が健全に育つのには、子ども本人の事に集中できていなければいげせん。自分の事でなく、いつも親の気持ちを肩代わりなんてしていたらそこに注力することになり、子ども自身の心の豊かさがストップさせられます。

それでも親のことは子供は心配ですから、兄弟の中で一番心優しい子供が、親の気持ちを請け負って、体を張って行動を起こすのですね。

 

母親が子供にレールをしいてあげることは必ずしもいいとは言えないということです。

もちろん、それでうまくいくパターンもあります。

親がレールを敷くということは、本来自分で道を切り開く工程を奪ってしまうこと。

その子が経験するはずだったことを親が先取りして経験させないことになります。

子どもの心を少しも知ろうとしないで、

いいと思ったものを強制する事は子どもの気持ちを無視しているのと同じではないでしょうか。子どもは親の言う事はききます。

子どもにとっては親が一番だから。

ですから親御さんはそこに愛があるならば、子どもの寂しさや辛さに気づいてあげてください。

 あなたのためを思ったならば、理解と共感を示してあげてください。

 

 

愛を与えてくれる人はどこに?

 

なぜこれほどに人がいるのに愛を与えてくれる人が少ないのか?

見渡せば人がいるのに。あなたのまわりに愛してくれる人っていますか?

家族でさえ自分のことで精一杯。愛してくれている、愛されているなーと

いつも感じることができる人がどうしてこんなにも少ないのでしょうか。

 

「私には愛する家族がいる」とどうどうと思えることが

当たり前ではない世の中。

 

家族間で愛がない

友達同士でも愛がない

愛と依存を間違えてしまう

甘え方を知らなくて傷つけてしまう

夫婦だって愛し合っているかというと

愛だと思っていたけどフリだったり、、、。

 

本当の愛を与えることって、一度死にはぐってみないと難しいのでしょうか。

深い絶望から愛を知ることができることもありますね。

血のつながりは、期待がゆえの諍いも多いですが、愛を修復しやすい。

 

せめて愛を構築しやすい血の繋がった家族の中では、

本当の愛を与えて、愛のある家庭を作っていってもらいたいです。

 

 

あー書きたいだけ書きました。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。お疲れ様でした。

 

愛について、また今度書いてみたいと思っています。

長々とお付き合いありがとうございました☆